2009/03/12

IgA腎症のこと

病院の検査結果で「IgA腎症です。」と言われたのが去年の10月。
いったいどんな病気なんだろう?

どうやら正確には今の所IgA腎症の疑いのようです。
診断の確定には腎生検という腎臓の組織を取る検査をしなければならないとか。
簡単に説明すると、自分の味方(自己免疫)が何らかの原因で自分自身を攻撃する病気です。

今年の1月母が亡くなり、まだ慌ただしい中でしたが、診察の予約をしていたので病院に行ってきました。
すると血液中のIgAが高くなっていると指摘されました。
通常315mg/dlが正常の上限なのですが、私の場合は645mg/dlでした。
数値の高さと病状の程度の関係はわかりません。

「腎臓内科を紹介しましょうか?」
と言われたのですが、当日は夕方から母の通夜だったので時間的にも精神的にも厳しい状態でした。
「今日は時間がないので、次回、また数値が高ければお願いしたいのですが・・・」
と話すと、
「解りました。」
とのことでした。
この時点で早急に何かしないといけないわけではない、ということは軽症と判断していいのかもしれないと思いました。
それでも心の中では不安でしたけど。

IgA腎症なんてそれまで知らなかった病名です。
慢性腎炎であること、症状が重いと将来的に人工透析になること。
難病ということもネットで知りました。

現在の治療法としては、早期の段階で腎生検を行い、扁桃腺の摘出をしてステロイドを投与する方法が効果があるそうです。
逆を言えば、病状が悪化してからでは効き目がないということです。

まず気になるのが腎生検。
体験者の話を聞くと、少なからず苦痛を強いられます。
検査そのものより検査後が辛いようです。
私も以前、動脈カテーテルとかいう腎臓の検査を経験したので納得出来ます。

腎生検は診断目的なのか、治療方針を決めるためなのか。
私は少なくても半年以上の間、尿の異常が続いています。
そして血中IgAが高い。
これはやはり腎生検の適応になってしまうのでしょうか。

この人は軽症なのかな?と思われる人のブログをみつけました。
軽症でも、積極的に治療を受けたいという考えを持っていました。
それは、早期ならば扁桃腺の摘出をしてステロイドを投与する方法で悪くならない、という治療成果に期待しているということです。
悪くなってからでは遅いのです。
経過観察では常に不安が付きまとうからです。
残念なことに、そのブログは途中で記事の更新が止まっていました。
今はどうしているのか。

統計的に何パーセントの人が悪くなるとかならないとか言われても、自分がそのどちらかになるかわからないわけで、そこが不安なんです。
医師の立場から見ても、早期の段階で予後を見極めることは不可能のようです。

多くの人は若いうちに診断を受け、長い年月の結果に最悪の場合は人工透析になるパターンがあるそうです。
数字で挙げると、

『10歳〜30歳代で多く発症、発病後20〜30年間で40〜50%が末期腎不全に進行する』

私は既に50歳です。
もしも早期の段階だとしても、いつか腎不全になるかもしれない確率が五分五分なんでしょうか?
そんなことを考えると、嫌でも腎生検をして治療方針を決めてもらい、良くなるか最低でも進行を遅らせてもらいたいものです。







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2008/10/23

検査結果

今日は、先週の検査結果を聞きに病院に行ってきました。

まず膀胱がん・膀胱炎の可能性は無しとのことです。
それから幾つかあるので、過剰書きにします。

①腎臓結石・・・小さいので治療の必要なし
②腎のう胞・・・小さいのが数個あるが治療の必要なし
③子宮筋腫・・・ごく小さいので治療の必要なし
④肝臓の血管腫・・・前回CT検査時より大きくなっている
⑤IgA(アイジーエー)腎症の疑い・・・血清IgA値が高い

ということで、問題は④と⑤です。

④の肝臓の血管腫ですが、大きくなって破裂するとショック状態になるそうです。
前回診察した外科を受診してもいいのではと提案されました。

⑤のIgA腎症は、程度によってはかなりやっかいです。
投薬や食事療法という治療で済む場合から、最悪は腎不全になり人工透析です。
診断の確定には腎生検という検査をします。

今回は尿に蛋白が出ていない事もあり、経過観察になりました。

私「1年に1回くらい検査したほうがいいんでしょうか?」
先生「半年に1回ですね。」
私「あ、はい。」
先生「じゃあ、次は3ヵ月後に診察の予約を入れましょう。」
私「??はい・・・」
あれれ??
今、半年って言わなかったっけ??
ま、いっか。


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2007/06/30

針灸治療

以前から肩凝りや背中の張りがひどくて、整体に行った記事を書いたことがありました。最近また1~2週間に一度通っていたのですが、どうもすっきりしません。腕が悪いというわけではないと思います。私の症状がかなり悪いので、早々には良くならないんだと思います。

そこで職場の人に相談してみたら、お勧めの針灸院があると紹介してくれました。電車を利用しなくてはいけない所なので、ちょっと躊躇したのですが思い切って行くことにしました。金曜日に電話をしてみると、ちょうど空いている時間があったので今日の予約が取れました。

針灸院はマンションの一室で、先生を含めてスタッフ全員が女性です。広くはないけれど余分なものがなくてシンプルですっきりしていました。

問診の後、着替えて治療台に横になりました。先生は私の右手の2箇所を針でチクンチクンと何度か刺して「こんな状態じゃしょっちゅう頭痛するでしょ。」と言いました。ほんのちょっとなのに鋭い指摘です。もしかしたら怖い先生かもしれないと思っていたのに、私の辛い状態を解ってくれるんだと安心しました。

それからうつ伏せになってお灸をしてから、また数箇所をチクンチクンと刺されました。私は、針ってビョ~ンと刺さっている状態を想像していたんですけどね。余裕で我慢できる痛みです。

治療の後は塩が少し入ったお茶を出してくれました。かなり敏感なタイプなので強いマッサージは良くない、水分が溜まっているような感じがある、体に熱がこもっているので汗をかくようになるとよくなる、肩凝りは2~3日すると楽になる(変化がある)、更年期の不調に効果があるなど、しばらく通うといいでしょうなどとお話ししてくれました。ここはアロマセラピーもやっていて、様子を見ながらやってくれるそうです。

往復の電車と治療で2時間半くらいかかりますが、何度か通ってみようと思います。ちなみに治療代は4千円と一般的な値段でした。

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2007/05/28

忘れえぬ夏(その4)

朦朧とする中、そこはもう手術室ではないと解りました。「目が覚めましたか?」と看護士さんが声をかけてきました。「体を拭きますね。」その優しい言葉に返す言葉が出ません。まるで大きな岩が体の上にあるようで、重く苦しかったのです。なんだか夢を見ているようでした。

翌日(手術から2日目)は、普通病棟に戻されました。この日からの4日間は本当に辛かったです。思うように寝返りも出来ず、痛み止めの点滴を追加してもらったり、背中や踵にマットを敷いてもらったりしました。体の中の排泄物を出すために、鼻・お腹・尿道に管が入っていて点滴を加えると全部で4本です。「なぜ私がこんな目に遭わなくてはいけないんだろう」とか「数え切れない人達がこの痛みを乗り越えているのに」などと考え、自分が情けなくて涙が出ました。

6日目、抜糸の前日にシャワーの許可が出ました。そしてその時、初めて自分の傷跡を目にして愕然としたのです。お腹の真ん中にある傷は約15センチ22針、まるで映画に出てくるフランケンシュタインのようでした。細かく縫ってあるのは、女医さんの性格なのか配慮なのか解りませんが。

その後、おかゆが食べられるくらいに回復して8月の下旬に退院、1ヶ月の自宅療養を過ごして仕事に復帰しました。

5年間は定期的に通院しました。5年を迎えた外来で、部長先生がおっしゃいました。「もう100%大丈夫ですよ。またこの病気になることがあるとしたら、それは再発とか転移とは違いますからね。」と。

開腹手術をすると、腸閉塞やダンピング症候群という後遺症が出る事があります。私もかなり前に腸閉塞になりかけた事もあり、今でもダンピング症候群には悩まされます。これはもう上手に付き合うしかありません。でも、表面的には私が大きな病気をしたなんてわからないと思います。告白するととても驚かれます。

あれから10年、妊娠中以外は毎年欠かさず胃カメラで検査しています。今こうしていられるのは、たまたま発見が早かったからです。結婚して子供にも恵まれるなんて思いもしませんでした。辛かったけど、あの日があったから今の自分がいるのです。些細な悩みがある時は、あの頃の事を思い出して頑張ろうと思う事がよくあります。でも、一番の支えは家族の笑顔と温もりですけどね。

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2007/05/27

忘れえぬ夏(その3)

入院まで数日あったので、その間に外来で手術に必要な検査をしました。入院してから手術までは10日あったのですが、事前に色々済ませてしまったので暇でした。外出許可をもらい、地元に戻って美容院でカットもしました。同じ部屋の大腸がんのおばさんは「パチンコしてきたよ。」と言っていました。

Dscf0499 私には、付属の看護学校の学生さんが付いてくれました。手術に向けて、かわいい手書きの資料を作成してくれました。

資料の中は、手術に必要な物、呼吸の訓練、咳・うがいの練習方法、手術前日及び当日の流れ等、イラストを交えて書いてあります。今でも大事にとってあります。確か北海道出身と言っていたけど、今はどうしているのかなあ。

Dscf0501

私の手術の執刀医は女性の先生でした。ちょっと石田ひかり似の綺麗な方です。今は辞められて、他の病院で乳がんなどの治療に力を入れているようです。
手術に必要な承諾書を作りました。切除するのは下から3分の2です。

手術の日の朝、母と兄が来てくれました。前年に父が亡くなっているのですが、生きていたら心配しただろうと考えると複雑な気持ちでした。
準備を済ませ、ストレッチャーに乗せられました。手術室までは意識がちゃんとあるので、何だか不思議な気分でした。手術室のドアの中に入ると麻酔が打たれました。少しすると、もう意識はなくなっていました。次に気が付いたのはICUでした。

                                続く・・・

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2007/05/26

忘れえぬ夏(その2)

予定より早く生検(病理組織検査)の結果を聞きに病院に行きました。

「悪性を否定できない腫瘍があって、これはもう開腹手術をするしかありません。」さすがに緊張しました。まさか手術しないと駄目とまでは思っていなかったんです。始めにレントゲンを撮った病院に、結果を報告に行きました。でも、ここの病院と胃カメラを撮った病院(正式には診療所)では手術をする施設はありません。「大きな病院に紹介状を書きますが、どこかご存知ですか?こちらで国立がんセンターを紹介する事も出来ますが。」この日、先生同士のやり取りの書類の中に『Ca』という文字を見つけました。ほんの少し知識のあった私は、それが何だか解りました。

実は、この5年前に検査入院をしたことがありました。血尿が1ヶ月続き、外来で診断がつかずに1週間入院したのです。結局、腎臓結石が原因で、体外衝撃波の手術で完治しました。これが唯一経験した入院だったので、その病院宛に紹介状を書いてもらいました。

最初は消化器科で再度胃カメラの検査をして、その次に外科に回されました。そして初めてちゃんとした病名が分かったのです。それは『早期胃癌』というものでした。入院日が7月9日、そして手術日が7月19日に決まりました。病気が発見されてから、僅か1ヶ月で手術する事になったのです。薬を貰いに行かず、そのまま我慢していたらどうなっていただろう。「手術すれば治る」と言われ、私もそれを信じました。この時、思っていたことがあります。

「まだ死にたくない」と。

                              続く・・・

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2007/05/25

忘れえぬ夏(その1)

ブログを始めた時、私は高齢出産の記事を書きました。でもその前に、私にとって人生の大きな出来事がありました。今まで書かなかったのですが、丸10年が過ぎたので時効(?)というか自分の中で一区切りが付いた感があり、記事にしようと思います。

平成8年6月のことです。「ちょっと胃の調子が悪いなあ」と感じて、飲み薬を貰おうと近所の内科に行きました。私は飲み薬を貰えればそれで良かったのですが、しばらく胃の検査をしていないからやりましょうと言われたのです。どうせ胃炎とかだろうと思っていました。ところがレントゲンを見た先生は「ここが何か気になるので胃カメラで再検査をしたほうがいいですね。紹介状を書きますから。」と言うのです。何だろう?ポリープみたいな物かな?と思いながら、紹介先の病院で検査を受ける事になりました。

以前にも胃カメラを経験していて、あまり良い印象はありませんでした。嫌だけど仕方ない、そんな気持ちでした。でも、そこの病院は鎮静剤を使用しているとかで、全く苦痛はありませんでした。「生検の結果は、1週間後にお知らせしますので。」と、その場では知らされず、予約をして帰ってきました。

それから4日後、なんと病院から連絡が入りました。あれ?予約を変更して欲しいって事かな?そんな事を考えて電話に出ると、もう結果が出たという事でした。そして、早急に来院して欲しいと言うのです。もうこの時点で良くない結果だと直感したのです。

                                  続く・・・

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